備忘録

思考のストレージ

表層原理主義

表面上は似せているものの実際は似て非なるものが出来上がることがある。

モナコ風、北欧風の、イタリアの風を感じる、モダンな雰囲気な…

様々なネーミングで打たれる広告たちをみていつも愕然とする。

コンセプトとしてキャッチーなものを設定しているが、各々の形態は大差がなく、

素材や風合いをコンセプトに寄せているだけというがある。

よく見かけるこういった建築たちは、

はっきりいうと表層だけ似せているだけで根底にあるはずの理論やコンセプトの類は皆無に近い。
そのほか、様々なコンセプトのようなものを書き連ねているものを目にするが、

根本的なことばかりで、自身が設計したものに対するプレゼンになってない。

 

ー家事のしやすい動線計画

ー収納たっぷり

ー省エネ機器採用

etc

 

もっとも、身の回りの建築家ないし設計事務所の諸先輩を見ていると、

大変恐縮であるが、確固たる理論を構築できていない方が多いように感じる。

自分の中に理論が構築されていないが故に、コンセプトが薄っぺらく感じるのだろう。

国内の設計事務所で多く見受けられるが、海外の建築家は活動において理論的に構築し、

プロジェクトごとにしっかりとしたコンセプトがあるように感じる。

一見して形態模写されたものと比較した場合に大差ないように見えるが、

なぜそのような計画になったのか、

しっかりと言語化されたコンセプトがあるかどうか、その差は大きい。

ただの形態模写はイミテーションの世界であり、そこにオリジナリティーは存在しない。

 

私の尊敬する建築家の一人、富永大毅氏は、

「今ある資源からデザインする」と掲げている。

同氏HP  http://www.ht-at.com/
現代においてデザインは飽和状態にある。

そのため、施主との対話で潜在的な建築の可能性を探る手法を取っている。

こうした明快でありかつ、設計の本質を端的に表現している建築家に出会えたことは

喜ぶべきことであり、尊敬する建築家たる所以である。

いつも発表される建築はキレイなだけではなく、批評性を持ち、新人的に攻めた建築をしている。

今後も富永氏の発信する建築や理論について、定期的に振り返り、物にしていきたいところである。

 

身の回りの設計事務所に対して言いたいことは山ほどあるものの、

批評ではなくただの悪口となりそうなのでこのあたりで。

そもそも設計者がいるのか怪しい案件も少なくないが、

自分が設計活動における理論”デザインコード”とは何かを模索し、

確固たる自身のスタイルにて設計活動してみてはいかがか。

繰り返しとなるがこれは単なる悪口ではなく批評である。

 

そうした自分のデザインの拠り所のない設計で施主の夢を膨らませ、

心に響く建築が設計できるのだろうか。


私には甚だ疑問である。