備忘録

思考のストレージ

つまらなくて 価値のあるもの

つまらなくて 価値のあるもの

 

Casa ブルータスを読んで。

建築家の内藤廣氏が設計した虎屋についての特集記事の中にあった一節。

 

日本人が誰かに手土産を手渡す際に使う言葉として、

「つまらないものですが...」というものがある。

周りにつまらないならよこさないでという人も少なくない。

いや、自分の身の回りでだけなのかもしれないが、少なからずそう言いたくなる人はいる。

しかし、つまらないものですがという表現は、

あなたを想う気持ちに比べたらつまらないものですが。

という意味合いがあるようである。

ロストテクノロジーや死語になりつつある、

日本人が古来から使っていた表現や気配りが感じられる特集であった。

 

変えていかなければいけないことがあることは紛れもない事実であるが、

その中でも変えてはいけないものも同時に存在していることは、

忘れてはいけないことであろう。

そうしたもの、ことを掘り下げて設計活動をしていくことは、

その対象に寄り添い、何が大切が見極められなければいけないだろう。

 

以前藤森照信氏の建築を見た隈研吾氏が、

「見たこともない建築だがどこか懐かしさを感じる」と表現した。

原初的という言葉を使うと、縄文時代的な情景が浮かぶかもしれないが、

人それぞれ、根底に眠る原風景が存在していて、

何か体験した時にふと、その原風景に近い要素を感じ取ると、

「新しいものなのだがどこか懐かしい」と居心地の良さを感じ取るのだろう。

 

奇をてらい、デザインの押し売りも、

視点を変えると間違ってはいないのかもしれないが、

人々の琴線に触れるような仕掛けを取り込めるかどうかが、

今後の建築設計に必要なのかもしれない。

 

バブル経済期ということもあったのか、

ポストモダン期には目を引くデザインが良しとされていたが、

その後、白の時代(SANAA等)が訪れ、

現在は素材表現の時代が来ているように感じる。

あまり変化がないようで、数年でニーズと我々の建築表現は変わっていっているため、

最近発表される建築を好き嫌いではなく、

どう世の中が変化しているかを見極める必要はある。

日本人の気遣いから、建築の流れについて偉そうにあれこれ書きなぐってしまったが、

建築表現は多種多様になっているものの、

設計におけるデザインコードは変わらないものであるはず。

 

形態表現はひとまず置いておいて、

自分の設計におけるデザインコードとして、以下を掲げる。

 

  ー原初的建築ー

 その人の心の根底に眠る風景を探り、

 新しいもののはずだが、どこか懐かしい居場所を探求する

 

ありきたりかもしれないが、やはり居心地のいい場所に人は集うものだと考えている。

そのために建築はあくまでからであり、

その内外で発生する人間活動の補助として存在する。そういう建築を考えていきたい。

そのため先述のコンセプトをメインに掲げ、

さらに再考を重ね、確固たるものとしていきたい。

 

ちょっとしたコラムと意思表明を兼ねて。